徒然日記

飾りのない日々を赤裸々に自分なりに書いています。ご感想頂ければ幸いです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

東京ドーム嵐チャリティイベント

6月24日(金)25日(土)26(日)の3日間。計5公演。(金1回、土・日は2回ずつ)
嵐のチャリティイベントが東京ドームで開催された。(1開催につき、4.5万人定員、合計22.5万人)

この4月から、中3となった娘は、昨年から嵐のファンクラブ会員となり、絶大なる嵐信者のひとり。

今回のイベントはファンクラブ会員1名につき、1公演1チケットまでの限定販売。
(後日、一般販売解禁となったらしい)
これまでも、娘は、相場君の舞台、嵐コンサート、二宮君映画舞台挨拶(大奥)、二宮君映画舞台挨拶(ガンツ)の申し込みを試みたが、すべて落選し続けた。

今回はひとり1枚限定で、22.5万人という好条件のおかげ?

初当選。\(^o^)/

娘が当選したのは6月26(日)AM11時開始の公演。(入場開始9時から可能。公演時間は約90分)

実は当選前から、「お父さん。当選したら一緒に来て欲しい。」とお願いされていた。
(嵐グッズ購入の父親スポンサーの意味もあるだろう。)
初めて、ひとりで、東京ドームに行くこと、また公演もひとりで参加することに不安があると話してくれた。

もちろん、自分は嵐ファンクラブ会員ではない。チケットは娘の1枚しかない。
よって、
自分の予定は、娘をドームへ送り届けた後に、秋葉原で、AKB劇場、メイド喫茶、耳掻き専門店等と目論んでいた。(シメシメ・・るんるん。イェイ)

嵐グッズは当日の朝の7時から、販売開始とのこと。

販売時間に間に合うように、
津田沼駅朝6時始発の電車に乗り込み出発。
東京ドームのある水道橋駅には、6時45分頃着いた。
同様に「嵐グッズ」購入目当と思われる多数の女子達と一斉に東京ドームを目指す。

ドームに向う歩道橋で、警備員さんが拡声器で、
「嵐グッズ購入予定の方は、歩道橋の階段を降り、飯田橋方面にお進み下さい」とのこと。
飯田橋とは水道橋駅の隣の駅だ。
女子達の群れ(あえて群れと表現しよう)と共に、一斉に飯田橋方面に早足で進んだ。
途中で右に曲がり、漸く「ここが最後尾」と書いた立看板を持つお兄さんところに着いた。
小石川後楽園西門という表示がある。(多分、ドームの裏側)
群れが並び続け 、立看板を持つお兄さんも、遥か彼方へ消えていった。

時刻は7時ジャスト。
嵐グッズ販売開始時間だ。
群れは少しずつ動き始め、
左手に地下鉄後楽園駅、LaQua(ラクーア)、目の前には東京ドームシティ(遊園地)をのぞみ。

時刻は8時ジャスト。
目の前に無線を持つ係員がいる。
「ここから、あとどれくらい時間かかりますか?」と問う。
「ここからですと・・・・・あと、4時間です。」
えええええええええええええええええええええええ(@_@;)
愕然とする自分。
11時の公演開始に間に合わないと不安を募らせる娘。
今は8時である。もっと間近になってから、また考えよう。

時刻は9時ジャスト。
自分達の並んでいるところに最後尾の看板を持つお兄さんが近づいてきた。
どういう並び経路か知らんが、ぐるぐるぐるぐる巡って最後尾が自分達が並んでいる列の近くにきた。
拡声器でアナウンスしているお兄さん。
「嵐グッズ購入希望者の最後尾はここです。ただし、現在の待ち時間は約12時間。本日の11時からの公演はもちろん17時から公演に間に合いません」とのこと。
(その後、10時には列に並ぶことさえ禁止となる)

時刻は10時ジャスト。
漸く、グッズ売場の館内にまで辿りつく。
あと、もう少し。
列にピンクのセーラー服の子達がいる。
娘に「かわいいねぇ」と言うと、
「お父さん、見ちゃダメ!!」と。
今回のチャリィテイイベントには、「わくわく学園」というサブテーマがあり、嵐メンバーが講師を務めるとのこと。
よって、テーマに合わせ学生服姿の女子中高校生が目立つ。

時刻は10時30分。
購入順番となる。
ただし、ここから列が五つのグループに分かれて、そのグループによって、購入できる物が違う。
取り急ぎ、娘が友人から依頼されていた大野君のジャンボ内輪を購入できる列に並ぶ。
購入後、

10時45分になった。
娘は公演会場のドーム41番ゲートを目指す。
よって、お父さん、あとは頼んだ。メモに書いた物の購入してね。とのこと。

任された。
購入予定メモを確認しつつも、人間心理として、これだけ並んだんだから、頼まれていないストラップ・タオル・バッグも勢いで購入する。(自分が使おう)
グッズ購入終了。
時刻は11時30分となっていた。

取り合えず、休憩とろう。
とこで・・どこで・・どこで・・うーん。人だらけ・・

水道橋駅の反対側にある漫画喫茶を発見。
店内に入るが、身分証明書の提示がないとパソコンは電源は落とさせて頂きます。と言われる。
もう、どうでもいい。
パソコンは使用しないから、電源切っても構わん旨を告げる。

つづく

スポンサーサイト

PageTop

痛みの悪循環

前々回の記事で、風邪の記事を書きました。
おかげさまで風邪は完治。

しかし、咳だけが治まりません。
過去に一度経験あるんですが、風邪の咳をきっかけに、喘息の咳を引き出してしまう。
元々喘息持ちではないんですが・・・

診断名は『咳喘息』。
風邪用の咳き止め薬は全く効果ありません。
喘息の吸引薬『アドエア』を処方してもらいました。1日2回、咳が治まるまで約2週間。朝晩、吸います。
医師からはよーいさんはアレルギー体質だから、どうしようもないよね。とのこと。

しかも、今回は最悪です。
激しい咳により、あちこち筋肉痛が発生。特に右腰に痛みと違和感を感じてました。
無意識に腰をかばっていたせいでしょうか?
一昨日、徒歩で帰宅中に右腿付け根から、脚全体にかけて、いきなり電気が走ったような痺れるような痛み・・・

あああ、痛い・・
歩けない・・・(>_<)
その場に蹲ってしまいました。

徒歩15分位の道程を倍以上の時間をかけて、漸く帰宅。
この痛みは今まで経験したことがないです。電気が走る感覚だから、間違いなく、神経系が原因だと思う。

風邪→咳→喘息→あちこち筋肉痛→腰痛→右脚痛
負の悪循環。

現在、吸引することと腰にコルセットを装着しています。
自宅で安静にしている限り調子は良好です。
けど、仕事しないわけにもいかんし、身体を少し動かすだけで痛みが出ます。

情けないです。(>_<)

しょんぼり。。

PageTop

村上春樹氏:カタルーニャ国際賞スピーチ

尊敬する村上春樹氏のスペインカタルーニャでのスピーチを紹介させて頂きます。(全文、省略なし)
ちなみに、自分は彼の作品を一作も読んだことがありません。
正確に言うと、読もうと試みたが、数ページ読んだだけで、放り投げてしまった。
彼の文章の綴り方が自分には合わないみたいです。

作品を知らないのに、何故尊敬しているのか?

実は、2年前、イスラエルのエルサレムでの彼のスピーチを知ったことをきっかけとし、作家というより、「人間村上春樹」が好きになり、尊敬するようになりました。

今回のスピーチも賛否が分かれ、論議を呼びそうな内容です。

「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。


最後まで、読んでくれた方、お疲れ様です。
いろんなことを考えさせてくれる味わい深い内容だと自分は思います。
ただし、彼の小説と同様に、自分にはイマイチ伝わりづらい文章の綴り方のため、理解するために、何度も、何度も、何度も読み返しました。

彼の言うとおり、自分もガキの頃から、「核」に対するアレルギーというもの抱いてました。
しかし、大人になるのと同時に無意識に容認していたことも事実です。

実は自分は職場で、6月8日に防災講義をする予定でした。(体調不良により延期になった)
その講義の冒頭で、日本という国の特性を話す予定でした。少しだけ紹介させて頂きます。

・日本は環太平洋の地震地帯に存在し、国土の面積は全世界の0.3%にすぎないが、大地震は全世界の約20%が発生している。
・108(北方領土の11火山含めて)の活火山が存在し、全世界の約10%を占めている。
・毎年、台風・梅雨・秋雨・ゲリラ豪雨等による大雨により、全国各地で洪水や土砂災害等を引き起こしている。
・日本海側を中心に豪雪による被害を引き起こしている。
※世界的には稀な多様な自然災が害集中する国

世界的にみて、こんなに自然災害が多い国に、原発を作るべきではなかった。また、それを容認するべきでもなかった。世界から、なんて効率の悪い電気供給しているのかと指差されようと、頑なに自然エネルギーの開発に精力を注ぐべきだったと今更ですが思います。

あと、そう遠くない将来、広島に赴き、原爆死没者慰霊碑の言葉、
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
を原点回帰するためにも、見に行きたくなりました。

PageTop

体調不良(つぶやき)

風邪引いた。
咳と痰と発熱・・・体がだるい。

薬飲まずに治そうと思ったが、
無理っぽい。

本日、抗生剤と気管支拡張剤と解熱剤頂きました。

今日の気温は高く29℃と聞くが、自分は悪寒を感じて震えてる。(急に身体が熱くなって、脱ぎだしたりも)

水曜日の夜に、防災についての講義を頼まれている。
8割程度はすでに資料をまとめたが、残り2割と最終チェックができない。

今日中に治さないと・・・・

PageTop

お気に入り

ヨーグルトはヤクルトのソフールが好き。
ゼリーはたらみのびわゼリーが好き。(この時期限定、ゼリーはたらみしか食べない。)

PageTop

マイ・バック・ページ

5月28日(土)
いつもの映画館で、映画『マイ・バック・ページ』を観てきました。

予告


公開初日の土曜のレイト。
妻夫木聡、松山ケンイチ君のW主演なら、さぞかし映画館は賑わうと思っていた。
意外にもこの映画館では1番小さな100席定員のシアターでの上映。
自分を含めて15人程しか観客はいなかった。
いきなりの拍子抜け。

上映開始、
数分後には苦痛に陥る。
そうです。つまらない、本当につまらない。

淡々と流れていく展開で映画鑑賞というより、難しい小説の朗読会に来ているようだ。
まして、効果音等の音響も用いていないため、臨場感の演出が乏しく感じる。
カット割りが長回しで、カメラの位置を固定した画がやたら多い。
もちろん、監督さんの考えによるものだと思うが、自分には、この手法が受け入れられなかった。

上映終了後、苦痛からの解放という感じに・・・・

帰宅後、早速ヤフーの映画サイトでレビューを確認する。
自分はこの映画サイトのレビューを高く評価している。
もちろん、酷評の嵐になっていると予想していた。
が、
自分の意に反して、高評価だらけ。

ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。と驚愕。一気に自分の映画をみる感性に自信喪失だわ。

まぁ、映画の評価というよりは、当時の若者の空虚感が見事に再現とか。自衛隊襲撃事件の史実を風化させない意味等。映画のエンターテーメント性より少し違うような意味での高評価が目立った。

ヤフーのサイトに自分は星☆ひとつと評価し、投稿しました。(お暇な方は探してみてね。)

もちろんこのブログでの評価も星ひとつです。

歴史的な意味合いはわからんけど、映画としては何度も書きますが、本当につまらない作品です。

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。